夕方のスーパー、お惣菜コーナーの前。から揚げのパックを手に取って、カゴに入れる瞬間だけ、なんとなく視線を落としてしまう。――そんな経験、ありませんか。
こんばんは。「今日も、たよっていい。」管理人のたよりです。夫と子どもひとりの3人家族で、パートをしながら暮らしています。
何を隠そう、わたし自身がずっとそうでした。夕飯を作れなかった日の夜、家族が寝静まったあとに、ひとりで反省会を開いてしまうような母親でした。
この記事は、そんな過去のわたしと同じように、「買う」「頼む」を選ぶたびに胸の奥がチクッとするあなたに向けて書いています。読み終わるころに、肩の力がふっと抜けていたら。そんな気持ちでまとめました。
惣菜をカゴに入れるとき、少し目をそらしていた
娘がまだ幼稚園児で、わたしが週4日のバイトに出ていたころの話です。シフトが長引いた日は、帰り道のスーパーでお惣菜コーナーへ直行。からあげとポテト、ほうれん草のソテー。組み合わせとしてはむしろ悪くないはずなのに、レジに並ぶあいだ、ずっと落ち着かない気持ちでいました。
こんばんはもっとくたくたの日は、娘とふたり、コンビニのお弁当で夕飯を済ませたこともあります。娘は自分でおにぎりを選べてうれしそうなのに、向かいに座るわたしの胸だけが、ざわざわしていました。。
「母親なのに」という声が頭の中にいる
不思議なもので、誰にも何も言われていないんです。夫は「すぐ食べれていいね」と言うし、娘はから揚げを喜んで食べる。それなのに、頭の中にだけ厳しい審査員がいて、「母親なのに、今日も作らなかったね」とささやいてくる。
しかもこの審査員、作れなかった事情をいっさい考慮してくれません。バイトのシフトで疲れ切っていても、体調がすぐれなくても、判定はいつも同じ。「今日は作らなかった」、その一点だけで減点してくるのです。
罪悪感の正体を考えてみた
あるとき、ふと立ち止まって考えました。この後ろめたさは、いったい何に対して感じているんだろう、と。
家族に対して?――でも家族は困っていない。むしろ機嫌よく食べている。
栄養に対して?――お惣菜やお弁当でも、選び方しだいでちゃんと整う。
お財布に対して?――たしかに自炊より少しかかるけれど、家計が傾くほどではない。
消去法で残ったのは、「母親はこうあるべき」という、自分の中のイメージでした。実害はどこにもないのに、理想像とのズレだけが、わたしを責めていたんです。
つまり、責めているのも責められているのも自分だけという、なんとも切ない構図でした…
ちなみに同じ時期、わたしは「今夜なに作ろう」を毎日ひねり出すこと自体にも疲れ切っていました。そのあたりは別の記事に書いています。
その罪悪感、どこから来たんだろう
「お母さんの手料理」という物語
思い返せば、わたしたちは子どものころから、「お母さんの手料理」を特別なものとして描く物語にたくさん触れてきました。ドラマでも、CMでも、絵本でも、湯気の向こうにはいつもエプロン姿のお母さんがいた気がします。
その光景そのものは、あたたかくて素敵なものです。手料理を大切にしたい方の気持ちも、作ってもらった側の思い出も、否定するつもりはまったくありません。わたしにも、母の味噌汁の記憶はちゃんと宝物として残っています。
ただ、あの物語には「続き」が描かれていませんでした。あのお母さんが何時に帰宅して、何時から台所に立っていたのか。外で仕事をしていたのか。疲れて動けない日はなかったのか。物語が切り取っていたのは、食卓のいちばんいい瞬間だけだったんですね。
時代は変わったのに、価値観だけ残っている
いまは共働きの家庭のほうが多数派の時代です。お母さんたちは、仕事をして、送り迎えをして、宿題を見て、洗濯機を回して、そのうえで台所に立っています。
暮らしの形はこれだけ変わったのに、「夕飯はお母さんが手作りするもの」という価値観だけが、昔の形のまま心の中に残っている。ここに無理が生じるのは、考えてみれば当たり前のことでした。
つまりあの罪悪感は、あなたの愛情や能力が足りないから生まれたのではありません。「昔の基準」で「今の暮らし」を採点してしまっているから生まれている。わたしはそう考えるようになりました。
「買う・頼む」は分担です
ここからが、この記事でいちばんお伝えしたいことです。
外では、料理は立派な仕事として成立している
世の中を見渡すと、料理はあちこちで「仕事」として成り立っています。飲食店のシェフ、学校給食の調理員さん、お惣菜売り場の調理スタッフ、宅食サービスの管理栄養士さん。みんな、誰かの食事を作ることを職業にしているプロです。
会社で、経理を経理部に任せることを「怠けている」と言う人はいませんよね。専門の人に任せたほうが確実だからです。それなら、家庭の食事づくりをプロに任せる日があっても、理屈は同じはず。
「外注」と言うと少し冷たく聞こえるなら、「プロに分担してもらう」。わたしはそう呼ぶことにしました。
夫に頼むのと、サービスに頼るのは同じこと
「今日はお願いできる?」と夫に頼む。実家に子どもを預ける。ママ友と送り迎えを交代する。こうした「人に頼る」は、わりと自然にできる方も多いと思います。
宅食やお惣菜に頼るのも、構造はまったく同じです。違うのは、頼る相手が身近な人か、サービスか。それだけ。相手がサービスになったとたん、急に「サボり」のような気がしてしまうのは、冷静に考えると不思議な話です。
むしろ対価をきちんと払っている分、堂々としていていいくらいだと思うんです。
分担したぶん、あなたは別の何かを担っている
それに、調理を手放した日のあなたは、何もしていないわけではありません。
その時間で子どもの話を聞いているかもしれない。明日の持ち物をそろえているかもしれない。あるいは、ソファで15分だけ目を閉じて、明日も動ける自分を取り戻しているかもしれない。休むことだって、家庭を回し続けるための立派な担当業務です。
家庭はひとつのチームです。調理をプロに任せた日、あなたはチームの別のポジションを守っている。それは怠慢ではなく、配置換えです。
罪悪感は「大事に思っている証拠」
どうでもよかったら、罪悪感なんて感じない
ここまで読んでも、「理屈ではわかるけれど、やっぱりチクッとする」という方もいると思います。わかります。わたしも長いことそうでした。
でもあるとき、気づいたんです。もし家族の食事がどうでもよかったら、罪悪感なんて1ミリも感じないはずだ、と。
胸が痛むのは、家族においしいものを食べさせたい、元気に育ってほしいと本気で願っているから。つまりあの痛みは「母親失格の証拠」ではなくて、「大事に思っている証拠」なんですよね。証拠の読み方を、わたしはずっと間違えていました。
責める気持ちを、家族との時間に振り替える
だから今は、罪悪感がチクッと顔を出したら、こう受け止めるようにしています。「はいはい、それだけ大事に思ってるってことね」。そして、自分を責めるために使うはずだった時間とエネルギーを、そのまま家族に振り替えるんです。
夜中にひとり反省会を30分開く代わりに、子どもと30分トランプを使って遊ぶ。どちらが家族を幸せにするかは、比べるまでもありませんでした。
料理そのものへの苦手意識で悩んでいる方や、「お金で解決するのは贅沢なのでは」と引っかかっている方には、こんな記事も書いています。気持ちが向いたときに、のぞいてみてください。
わたしが「頼る」を選べるようになるまで
最初の一歩はスーパーの惣菜だった
ここまで偉そうに書いてきましたが、わたしが変われたのは、ほんの少しずつでした。
最初の一歩は、スーパーのお惣菜を「堂々と」カゴに入れることから。目をそらさず、「今日はプロに分担してもらう日」と心の中で唱えながらレジに並ぶ。たったそれだけのことなのに、最初は妙に緊張したのを覚えています。
でも、何度かくり返すうちに気づきました。誰もわたしのカゴなんて見ていないし、世界は何も変わらない。変わったのは、夕方の気持ちの重さだけでした。
宅食を使った日、家族は普通に「おいしいね」と言った
次の一歩が、宅食でした。初めて頼んだ日は、正直そわそわしました。食卓に並べながら、「手作りじゃなくてごめんね」と言いそうになる自分を、ぐっとこらえて。
結果はどうだったかというと――家族は、普通に「おいしいね」と言って食べました。それだけです。ドラマも事件も起きません。子どもは学校の話をして、夫はおかわりの心配をして、いつもどおりの夕食でした。
拍子抜けすると同時に、じんわり気づいたんです。家族が求めていたのは「わたしが作った料理」そのものではなくて、「みんなで機嫌よく囲む食卓」だったんだ、と。だとしたら、その食卓を守るためにプロの力を借りるのは、立派な作戦です。
あんなに悩んでいたのは何だったのか…と、ちょっと笑ってしまいました
ちなみに、わたしが最初に選んだのは、手作りにこだわった宅食の「ツクリオ」でした。温めるだけで食卓が整うのに、味がちゃんと「おうちのごはん」なんです。「頼ってみたいけれど、味気ないのは嫌」という方の最初の一歩には、ちょうどいいと思います。
ツクリオは、対象プランで初回4,000円OFF!下のオレンジ色のボタンから申し込みできます。
初回注文限定。指定クーポンの適用が必要。本特典は予告なく変更・終了する可能性がございます。
まとめ:今日も、たよっていい
長くなりました。最後に、この記事でお伝えしたかったことをまとめます。
- 「買う・頼む」は、プロへの分担のひとつ
- 罪悪感は、「昔の基準」で「今の暮らし」を採点したときに生まれる
- 胸の痛みは失格の証拠ではなく、家族を大事に思っている証拠
- 調理を手放した日も、あなたは家庭の別の役割を担っている
今夜のあなたが、台所に立つのか、お惣菜を買うのか、宅食の封を開けるのか。どれを選んでも、家族を思って選んだのなら、それが正解です。
「今日も、たよっていい。」このサイトの名前は、あのころのわたしに言ってあげたかった言葉です。そして今、画面の向こうのあなたにも、同じ言葉を贈ります。
「じゃあ、どこに頼ればいいの?」という段階に来た方は、頼り先の選び方をまとめたガイドをどうぞ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。




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