「作れない自分」を責める前に。食事づくりのストレスを軽くする考え方

食卓の白いお皿に、食べかけのシュウマイが残っている 献立・時短
記事内に広告が含まれています。

食卓に、大きなシュウマイを置きました。

スーパーで目についた、お惣菜のシュウマイです。その日、わたしは夕食を作れませんでした。

たより
たより

「作れなかった」という日は、あとから自分を責める材料になりやすいのではないでしょうか。

この記事では、わたしが作れなかった日のことと、気持ちが軽くなった考え方を書いてみます。

時間はあったはずなのに、夕食だけ作れなかった休みの日

仕事は繁忙期でした。

その日は、週2〜3日の勤務の合間の、休みの日です。時間には余裕があるはずでした。

それなのに、家事がなかなか進みませんでした。

たより
たより

その日のうちに、詰め込んでいた掃除や、大物の洗濯などは済ませました。けれど、夕食づくりまでは頑張れませんでした。スーパーで目についた大きなシュウマイを、そのまま食卓に出しました。

「これで充分。」と言った夕方と、残ったシュウマイ

そのとき、自分にかけた言葉は「これで充分。」でした。

家族は何も言いませんでした。

けれど、シュウマイは残りました。

残ったシュウマイを見て、わたしはこう思いました。

「好きな味じゃなかったのかな。食が進まなかったかな。何を出せばよかったんだろう。」

たより
たより

残ったお皿を前にして、次は何を出せばよかったのかと考える。そんな夕方に覚えがある人も、いるのではないでしょうか。

食事が作れないのは、やる気ではなく「余力」の問題だと思う

あの日を振り返ると、わたしは何もしなかったわけではありません。

その日のうちに、掃除も、大物の洗濯も済ませていました。

本当にやる気がなかったのなら、そちらにも手がつかなかったのではないかと思います。

作れなかったのは、気持ちの問題というより、夕食の時間まで力が残っていなかったから。わたしはそう整理しています。

夕食づくりは、一日の最後のほうに回ってくる家事です。その前に使った力が多ければ、残りが少なくなるのは自然なことではないでしょうか。

たより
たより

「作れなかった=自分がダメ」と結びつける前に、「今日はもう余力がなかった」と言い換えてみる。それだけでも、自分への責め方は少し変わるのだと思います。

「ちゃんと作らなきゃ」は、どこから来たのか

作れなかった日に自分を責めてしまうのは、心のどこかに「夕食はちゃんと作らなきゃ」という基準があるからだと思います。

その基準がどこから来たのか、考えてみました。

母が毎日作ってくれていたこと

わたしの基準は、母が毎日食事を作ってくれていたから、だと思います。

でも、毎日作るようにと、誰かに言われたわけではありません。

誰にも言われていないのに、自分で自分に課していた基準だったのかもしれません。

母が毎日作ってくれていたことと、わたしが毎日作らなければいけないことは、別々に考えていいのだと思います。

「家庭料理が一番」という刷り込み

外食や中食は塩分が多い、という話をマスコミやSNSで何度も目にして、いつのまにか刷り込まれてきたように思います。

そのうちに、「家庭料理が一番」という考えが、わたしの中に植え込まれていったのだと思います。

ここで書いているのは、あくまでわたしの実感です。塩分について何かを言い切りたいわけではありません。

食事と体のことで気になることがある方は、個人差もあるので、医療機関に相談してみてください。

就職氷河期世代として感じていたこと

就職氷河期世代のわたしは、給料も安く、気軽に外食することは許されない、という空気の中にいたように感じています。

世代全体を代表して言うつもりはなく、わたしがそう感じていた、という話です。

母のこと、どこかで刷り込まれた考え、世代の空気。どれも、誰かに「作りなさい」と言われたものではありません。

たより
たより

それでも重なり合って、わたしの「ちゃんと作らなきゃ」になっていたのだと思います。

気持ちが軽くなった考え方「自分の労働力はタダではない」

時間は少し戻りますが、ここからは、シュウマイの日よりも前、わたしがまだ働きに出る前の話です。

わたしの気持ちを軽くしてくれたのは、「自分の労働力はタダではない」という考え方でした。

疲れ切っていた自分に、時間にも気持ちにも余裕を持たせたい。

そう思って、予算の範囲内で、自分が動かなくても家事が進むように仕組み化しました。

導入したのは、自動掃除機、食洗機、それから縦型ですが乾燥機能のついた洗濯機です。

たより
たより

そのあと、心に余裕が出て、体も回復してきて、働きに出ることができました。いまは、週2〜3日働いています。

自分の手を動かすことにも、時間と体力という元手がかかっています。そう考えると、自分の労力を守るための仕組みを持つのは、わがままではないのだと思います。

何を仕組みにするかは、家庭ごとに違っていいと思います。予算も住まいの事情もそれぞれなので、できる範囲の、小さなことからで十分ではないでしょうか。

仕組み化しても、しんどさは残る

正直に書くと、仕組み化してもしんどさがゼロになったわけではありません。

洗濯は、縦型だと乾燥がいまいちです。

家電を増やしたことで、家のブレーカーがすぐ落ちるようになりました。

なので、家電は時間差で使うようにしていて、その順番を考えるのに、ちょっと頭を使います。

それに、冒頭のシュウマイの日も、家電を入れたあとの日でした。

たより
たより

仕組みがあっても、夕食を作れない日はあります。家電をそろえれば解決する、という話ではないのだと思います。
自分が動く量を少しでも減らせるなら、仕組みの形は何でもいいのだと思います。

夕飯づくりの工程の多さがしんどい、という方は、こちらも読んでみてください。

作れない日は「整わない日」にしていい

毎日きちんと整えられなくても、いいのだと思います。

作れない日は、「失敗した日」ではなく「整わない日」と呼んでもいいのではないでしょうか。

ツクリオを使った日は、誰かにおかずをお裾分けしてもらえたような、「今日は休んでね」と言われたような気持ちになって、気が楽になりました(使ってみた感想はツクリオ レビューにまとめています)。

作れない日のための備えについては、疲れて夕飯が作れない日の正解は「頑張らない準備」に書いています。

頼ること自体に後ろめたさが残る方は、こちらも読んでみてください。

まとめ:自分が笑っていられることを、優先していい

食事を作れない日があるのは、あなたがダメだからではないと思います。

その日は、余力が残っていなかっただけなのかもしれません。

たより
たより

自分を犠牲にしてまで、家族を優先しなくていい。
整わない日があってもいい。
自分が笑っていられることを、優先していい。

「これで充分。」と言える日があっても、それでいいのだと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました